プロ野球のドラフト会議が、10月11日に行われます。
甲子園で活躍した選手、大学や社会人で注目した選手など、各球団がどのような選手を指名するのか注目が集まります。
この記事では、ドラフト会議の開催にあたり、これまでのハプニングや名物アナウンサーについてご紹介します。
Contents 目次
ドラフト会議について
日本のプロ野球(NPB、日本野球機構)でドラフト制度が開始されたのは1965年からです。正式には「新人選手選択会議」と呼ばれます。
最近ではドラフト会議の様子がテレビ中継されることもあり、イメージがわきやすいと思いますが、くじ引きをする場面をみることもあると思います。
基本的に1巡目指名、いわゆるドラフト1位選手を指名する時は12球団が一斉に指名します。ですから、同じ選手が指名されて交渉権を獲得するくじ引きが行われるのです。
2巡目指名からはウェーバー方式と言って、その年の順位が下の方から指名し獲得していきます。2021年はセリーグから指名していきますので、セリーグ6位、セリーグ5位…セリーグ1位、パリーグ6位、パリーグ5位…パリーグ1位の順に指名して、交渉権を獲得します。
3巡目は逆になり、パリーグ1位から指名して、セリーグ6位と流れていきます。4巡目はその逆という形で指名選手がいなくなるまで続くわけです。
具体的には、パリーグ最下位、セリーグ最下位、パリーグ5位、セリーグ5位…と言う感じに下位チームから指名をしていきます。3巡目は逆でパリーグ首位、セリーグ首位、パリーグ2位、セリーグ2位…に交互に指名していきます。ちなみに、指名順が逆になるので逆ウェーバー方式とも言います。
4巡目は2巡目同様、5巡目は3巡目同様に繰り返していき、指名球団がなくなったところで終了となります。その後、育成選手の指名に入りますが指名方法はウェーバー方式と逆ウェーバー方式を交互に行います。
ちなみに、2021年のドラフト候補選手に関しては、さまざまな書籍が販売されていますので、お手に取ってみてもいいでしょう。
ドラフト会議の騒動やハプニング
では、ここから過去のドラフト会議で起こった様々な騒動やハプニングを紹介します。
①ヤクルトの真中監督の勘違い(2015年)
一番最近のドラフト会議で起こったハプニンングで思い出されるのは、当時、ヤクルトの監督を務めていた真中満(まなかみつる)監督が交渉権の抽選の際に起きたものです。
抽選でのハプニングですのでドラフト1巡目の指名の時ですが、明治大学の高山俊(たかやましゅん)外野手の指名で阪神とヤクルトが競合しました。
くじを引いた真中監督はガッツポーズしましたので交渉権を獲得したと誰もが思いました。しかしながら、抽選直後に金本監督が引いたくじに「交渉権獲得」と記載されまさかの勘違い劇になったのを覚えている方は多いと思います。
真中監督にしてみたらちょっと恥ずかしい出来事でしたね。
②史上最多8球団から指名された選手
ドラフト1巡目は12球団が一斉に指名しますが、そのうち8球団の指名があった選手が過去に2人います。野茂英雄(のもひでお)さんと小池秀郎(こいけひでお)さんです。
野茂英雄さんは近鉄(現在のオリックス)に入団し独特のトルネード投法で投げる直球とフォークボールを武器に日本を代表する投手として活躍し、アメリカメジャーリーグでも活躍しました。
2008年で現役引退をしていますから現在、高校生以下の年代は知らない方も多いかもしれません。しかし、日本人メジャーリーガーの先駆者的存在として知られているのは言うまでもありません。
もう一人の小池秀郎さんは野茂英雄さんと同じ学年ですのでお若い方は現役時代を知らないかもしれません。左投げの投手で私の記憶ではストレートとカーブが印象的な選手でした。(間違っていたらすみません…)小池さんも近鉄バッファローズに入団するのですが、大学生の時、ロッテにドラフト指名されますが入団を拒否した経験があります。
その詳細は触れませんが、指名拒否をした後に社会人野球へと進み2年間プレーしてプロ入りします。8球団に指名されたのはロッテ入団を拒否した時のドラフト会議になります。
ちなみに、記憶に新しいところで言うと日本ハムに入団した清宮幸太郎(きよみやこうたろう)選手は高校生の指名数としては最多の7球団でしたね。
③空白の一日
ドラフト会議を取り上げた特別番組では今でも取り上げられるのが「空白の一日」と呼ばれる出来事です。現在は野球解説者として活躍されている江川卓(えがわすぐる)さんがドラフト会議前夜に読売ジャイアンツ(巨人)に電撃入団をした騒動になります。
江川さんと言えば、高校時代に作新学院のエースとして大活躍し、その後は法政大学へ進みます。高校時代も大学時代も数々の記録を打ち立てたことから、昭和の怪物とも呼ばれ人気選手となります。
当然、プロの球団は獲得に動きました。高校時代にと大学時代にそれぞれドラフト会議で数球団から指名されています。いずれも入団拒否をして大学卒業後はアメリカに野球留学をして交渉権を持っていたクラウンライター(現在の西武ライオンズ)の権利喪失を待ちます。
余談的になりますが、大学卒業後に社会人野球で選手登録をすると2年間はドラフト会議で指名されないルールがあります。その期間の抵触しないようにと江川さんは野球留学を選択したようですね。
クラウンライターが江川さんと交渉する権利がなくなると、江川さんはアメリカ留学をやめてすぐに帰国します。権利喪失年月日は1978年11月20日のことです。
江川さんは1977年のドラフト会議においてクラウンライターに指名されますが、当時のルールでは「交渉権は翌年のドラフト会議の前々日まで有効」となっていました。
前日までとしないのは、仮に交渉が長引いてドラフト会議当日に担当者が不参加になるのを防ぐためと考えていたからです。そのルールの逆手を取りジャイアンツが1978年11月21日に江川さんと入団交渉を行なって電撃入団となったのです。
この行為に他球団も黙ってはおらず、4球団が抗議意味も込めて江川さんを指名し阪神タイガースが交渉権を獲得します。不完全なルールを設けてしまったコミッショナーは判断に苦しみますが阪神と交渉、契約しその後、巨人へトレードに出すことを提案します。
トレードでは当時の巨人のエース格だった小林繁(こばやししげる)さんと行われ、騒動は終了しました。私も全てをリアルタイムで把握しているわけではないので分からない部分もありますが、球界や政界、多くの企業に影響を与えたようです。
付随するエピソードもたくさんあるようですが今回はここまでにしておきますね。現在のドラフトでは空白の一日が生じないようになっています。
④意外に多い入団拒否
野球人口を考えると日本のプロ野球でプレーできるのはほんのわずかな選手達になるわけで、プロ球団から指名があれば光栄なことに思えますが当人にとってはそうでない場合もあるようです。
指名されても縫う団を拒否した選手は過去に大勢います。現在、巨人のエースとして活躍する菅野智之(すがのともゆき)投手は2011年に日本ハムが巨人との競合で交渉権を獲得しますが入団拒否しました。
同じく巨人の外野手として活躍する長野久義(ちょうのひさよし)選手も過去に入団拒否をしています。長野選手は2006年、2008年とたて続けにドラフト指名されます。しかし、意中の巨人ではなかったために2度も入団拒否をしました。
松坂世代では甲子園を沸かせた投手でもある新垣渚(あらがきなぎさ)投手がオリックスからの1位指名を拒否して大学進学。2002年に現在は廃止された自由獲得枠で福岡ダイエーホークス(現在のソフトバンクホークス)に入団します。
現在、広島東洋カープに在籍する福井優也(ふくいゆうや)投手は2005年に巨人から4巡目指名を受けますが、指名順位が低いことを理由に入団拒否。長野選手や菅野投手は巨人に入団したくて他球団への入団を拒否しましたが、福井投手は巨人からの指名を拒否した珍しい選手でもあります。
それから、40歳を超えても阪神タイガースで結果を残している福留孝介(ふくどめこうすけ)選手も高校時のドラフト指名での入団拒否をしています。高校生ながら7球団から指名され、当時の近鉄から指名されるも入団拒否。社会人野球を経て、1998年に逆指名で中日に入団します。
その他にも、江本孟紀(えもとたけのり)さんや谷沢健一(やざわけんいち)さん、元木大介(もときだいすけ)さんなどなど歴史を振り返ると入団拒否に至った選手が多くいます。
⑤ドラフト凶作
松坂世代、ハンカチ世代、最近だと2012年の大谷翔平選手の世代などは有望な選手が多く指名されました。一方で、失礼な表現になるかもしれませんが過去にさかのぼると、有望選手が少ない時もあったようです。
1986年のドラフト会議は人材難となり凶作と表現されています。1986年はオリンピックが開催される年でもあり、実力のあるアマチュア選手がオリンピック選考の対象となったため指名凍結となりました。
球界にとっては残念なドラフト会議だったと言えますが、指名凍結になった多くの選手が1989年のドラフト会議で続々と指名されたのでその年は大豊作と表現されます。
1986年に指名された選手を見てみると、広島カープの監督でもある緒方孝市(おがたこういち)さん、中日ドラゴンズや楽天イーグルスで活躍した山﨑武司(やまさきたけし)さんなどです。
良い声ので指名選手をコールするのは…
ドラフト会議で各球団が指名する選手をコールするダンディな声。個人的に好きなんですが、2009年から司会を務めるのは関野浩之(せきのひろゆき)さんです。フリーアナウンサーで様々な番組を担当しています。
ドラフト会議の司会で、もう一人有名な方と言えば「パンチョ伊東」こと伊東一雄(いとうかずお)さんでしょう。残念ながら2002年に亡くなられていますが、関野さんに負けないインパクトある声です。
今年もドラフト会議を楽しもう
まもなく2021年のドラフト会議が開催されます。注目選手が多くいますのでどんな選手が指名されるのか、何かハプニングが起こるのか楽しんでみましょう。
■こちらの記事も読まれています
リクエスト制度がプロ野球でスタート!内容の解説と海外との比較!
2000本安打達成の最速ランキングと2017年に達成可能な選手
完全試合は日本で15人しか達成していない大記録!完全試合について調べてみた
最新情報をお届けします
Twitter でフォローしよう!
Follow @zyouhouhasin47
この記事へのコメントはありません。