2017年6月14日、巨人が継投でノーヒットノーランを達成。継投でのノーヒットノーランはプロ野球史上4球団目とのこと。今回はノーヒットノーランについて色々とまとめてみました。野球を観ていく上で参考にしてみてくださいね。

 

 

継投でのノーヒットノーランは史上4球団目

 

2017年6月14日に行われた交流戦、巨人対ソフトバンクの一戦。巨人は先発投手の山口俊投手からマシソン投手、カミネロ投手と継投リレーでノーヒットノーランを達成。

 

継投によるノーヒットノーランは史上4球団目の快挙。この記録はレギュラーシーズンでの記録になります。日本シリーズではまだ記憶に新しいでしょう。2007年の日本シリーズ。中日対日本ハムで山井大介投手から岩瀬仁紀投手につないでのノーヒットノーラン(その時は完全試合のリレー)。

 

 

レギューラーシーズンでは歴史をさかのぼれば以下のようになります。

 

①1941年6月22日 黒鷲対名古屋(現在の中日)
黒鷲が中河美芳投手、石原繁三投手による継投で達成

 

②1941年8月2日 阪急(現在のオリックス)対名古屋
阪急が江田孝投手、森弘太郎投手による継投で達成

 

③2006年4月15日 日本ハム対ソフトバンク
日本ハムが八木智哉投手、武田久投手、MICHEAL投手(マイケル)の継投で達成

 

そして、4回目が今回の巨人の継投リレーでの達成です。

 

 

そもそもノーヒットノーランとは?

 

これからノーヒットノーランについてまとめを進めるにあたり、まずはノーヒットノーランとは何かを知っておく必要がありますね。

 

ノーヒットノーラン(英: no-hitter, no-no)とは、野球、ソフトボールの試合における記録のひとつで、投手が相手チームに安打を与えないことを指す。
(出典:ウィキペディア

 

簡単にいえば「相手にヒットを打たれない」意味になります。あくまでもヒットを許さないことであり、例えばエラーでランナーを許してもノーヒットノーランを達成することは可能になります。

 

ちなみにノーヒットノーランは和製英語です。

 

「ノーヒットノーラン」は和製英語で、「ノー」は「無」、「ヒット」は「安打」、「ラン」は「得点」を意味し、日本語では無安打無得点試合(むあんだむとくてんじあい)または無安打無失点試合(むあんだむしってんじあい)と言う。正式な英語ではno-hitterまたはno-noと呼ばれる。後者の呼び方は日本においても普及してきている。
(出典:ウィキペディア

 

同じような記録で「完全試合」があります。完全試合の場合にはフォアボールやエラーでもランナーを全く許さず、9回まで抑えることになります。今回はノーヒットノーランの記録についてのみまとめますので完全試合については触れないでおきますね。

 

 

世界で初めてのノーヒットノーラン

 

世界に目を向けると1876年7月15日にノーヒットノーランが達成されています。ちなみに1876年と言うと日本は明治9年です。達成した投手はジョージ・ブラッドリー投手。

 

日本でようやく明治になったような時代に世界(アメリカメのジャーリーグ)ではノーヒットノーランが達成されたわけですね。メジャーリーグではこれまで完全試合を含めるノーヒットノーランは296回達成されています。

 

 

日本では沢村栄治

 

日本で初めてノーヒットノーランを達成したのは、沢村栄治さん。もっとも優れた投手に贈られる栄誉「沢村賞」は沢村栄治さんの活躍を後世に残す形でつくられたと言っていいでしょう。

 

少し、沢村栄治さんについてですが伝説の速球投手。戦火に向かい27歳の若さで戦死してしまいます。最近、様々なテレビ番組の企画で沢村栄治さんの球速を映像をもとに算出しています。結果、160キロ前後は出ていたのではないかと推測しています。

 

今でこそ、日本ハムの大谷翔平選手が160キロを連発しますが、スポーツ医科学やトレーニング方法が進んでいない時代に活躍した沢村栄治さんの160キロはとてつもないスピードだといえます。

 

話を戻すと、沢村栄治さん(巨人)が日本のプロ野球で初めてノーヒットノーランを達成。1936年9月25日、タイガースとの一戦で達成します。

 

沢村栄治さんは通算3度のノーヒットノーランを達成しています。(完全試合の達成はなし)

 

日本のプロ野球では沢村栄治さんを皮切りに79人によって合計89回、ノーヒットノーランが達成されています。(完全試合15人、15回を含む)

 

 

日本のノーヒットノーランのいろいろ

 

日本球界で初めてノーヒットノーランを達成したのは沢村栄治さんでした。

 

完全試合の15回を除けば、63人によって74回のノーヒットノーランが達成されています。いろいろな角度からノーヒットノーランを達成した投手をみていきます。

 

①延長11回を投げ抜きノーヒットノーラン

1973年8月30日 江夏豊(阪神)が中日を相手に達成

 

②初登板でノーヒットノーラン

1987年8月9日 近藤真一(中日)が巨人を相手に達成

 

③41歳(最年長)でノーヒットノーラン

2006年9月16日 山本昌(中日)が阪神を相手に達成

 

④2017年6月13日現在、最後のノーヒットノーラン

2014年5月2日 岸孝之(西武)がロッテを相手に達成

 

⑤平成生まれの投手で初めてのノーヒットノーラン

2012年10月8日 西勇輝(オリックス)がソフトバンクを相手に達成

 

⑥夏の甲子園とプロ野球の両方でノーヒットノーラン

2012年5月30日 杉内俊哉(巨人)が楽天を相手に達成

 

⑦外国人投手として初めてのノーヒットノーラン(日本球界で)

1937年5月1日 スタルヒン(巨人)がタイガースを相手に達成

 

⑧自ら3打席連続のホームランを放ってノーヒットノーラン

1967年10月10日 堀内恒夫(巨人)が広島を相手に達成

 

※()内は当時の所属チーム。

 

こうしていろいろな面からみていくと個人的には堀内恒夫さんの打撃でも3本塁打を放ち、投げてはノーヒットノーランも達成。というのが印象的ですね。

 

普通であれば3本もホームランを打てばそれだけでヒーロー。ノーヒットノーランまで達成するとひとりでチームを勝利に導いたと言っても過言ではありませんね。

 

プチ情報ではメジャーで活躍する日本人投手もメジャーでノーヒットノーランを達成しています。

 

野茂英雄…1996年9月17日(ドジャース所属時にロッキーズを相手に達成)
2001年4月4日(レッドソックス所属時にオリオールズを相手に達成)

 

岩隈久志…2015年8月12日(現在もマリナーズ所属、オリオールズを相手に達成)

 

以上、2投手が達成しています。野茂英雄さんはメジャーで2度もノーヒットノーランを達成。

 

 

最後に

 

巨人が継投によってノーヒットノーランを達成した出来事からノーヒットノーランについてまとめてみました。継投だとしても、一人の投手によって達成しても素晴らしい記録には間違いありません。

 

ホームランが飛び交う試合もいいですが、投手が抑えて勝つ試合もいいものですよ。

 

 

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